はじめに

京都では古来より節分の夜に見る夢を「初夢」として、縁起のよい夢が見られるよう枕の下に宝船の絵を敷いて眠る、というまじないが行われてきました。

天皇や公家・武家においてはお抱え絵師が描いた肉筆画を用いていましたが、この習俗が盛んになるにつれて版画となり、庶民にも普及して一部の社寺でも授与されるようになりました。

明治の文明開化で古い習俗が次々と衰退していく中、趣味人と呼ばれる人々が現れて、大正時代に宝船図*1は再評価されるとともに蒐集の対象となります。

この蒐集活動が一般にも知られるようになった結果、京都画壇の絵師らが手掛けた新作が毎年出るようになり、昭和初期には二百を超える社寺で宝船図が発行されるというブームとなったのです。

今となっては百年前の熱狂は忘れ去られていますが、現代の御朱印集めに相通ずるものかもしれません。

このブログでは、忘れられたアートムーブメントの全容に迫るべく、ささやかな調査研究の成果を発信していきたいと思います。

 

*1:※他の工芸品と区別するため、宝船の版画を「宝船図」と表記します。